篠ノ井エリアに住む三浦翔万さんは、長野市にある「まつがく長野広徳校」に中1で入塾します。中学時代に不登校を経験し、高校は当初の志望とは違う進路へ。
不本意な進路だったことを知った校舎長の宮澤真都先生から「信州大学工学部の工業高校推薦枠を目指そう」と提案され、高1の6月から大学受験に向けて勉強をはじめました。
資格を取って好きな化学に没頭できる工業高校生活と、受験勉強をなかば独学も交えながらひとり積み上げていくまつがくでの学習を経て、推薦枠を手にします。宮澤先生と二人三脚の受験対策は試験前夜、三浦さんの涙でピークに達します。その涙は報われ、三浦さんは合格の報を受けることができました。
宮澤先生と一緒に、三浦さんの中学・高校生活をたどります。
三浦さんのタイムライン
| 中1 | 4月、入塾。週1回のペースで通塾(英・数) | 
|---|---|
| 3学期から不登校に。中2の夏休み明けから再登校 | |
| 高1 | 長野工業高校に入学 | 
| 6月、工業高校推薦枠で信州大学工学部を目指すことを決める。通塾ペースを週2回に増やし、英・数を中心に受験勉強をはじめる | |
| 高2 | 学年で10番以内に入り、学科1位を取れる科目も出てきた | 
| 高3 | 物質化学班の部長になり、「全国ものづくりコンテスト」に出場する。いろんな資格も取得し、さらに信州大学の高大連携事業にも参加する | 
| 9月、信大の指定校推薦の校内選考に通過。9月から11月まで「自己推薦書」「志望理由書」を仕上げ、面接と口頭試問(化学・英語)の練習を繰り返す | |
| 11月20日、試験 | |
| 12月1日、合格 | |
| 共通テストを受験して1月末で指導終了 | 
1. 不本意だった高校進学
学校に行きたくない
 
																		- 宮澤
- 翔万くんは中1の4月にまつがくに入りました。前任者からは「入塾当初から丁寧にコツコツ勉強を進めていた」と聞いています。もともと勉強は嫌いではなかったんだね。 
- 三浦
- はい。中学の時は週1回のペースで通って、英語と数学をやっていました。 
- 宮澤
- 学校には3学期から行かなくなったんだっけ。 
- 三浦
- 中1の3学期くらいから不登校がはじまって、2年生の1学期はまるまる行きませんでした。夏休みが終わる時に勇気を出して復活した感じです。 
- 宮澤
- 行かなくなった理由はあったの? 
- 三浦
- テスト問題が難しくてついていけなくなってしまって。友だち関係もありました。小学校の時は人数が少なかったんですけど、中学で一気に人数が増えて……。自分から話しかけるタイプではなかったので、学校にいてもあまり楽しくなくて。 
- 宮澤
- 中学の先生からは何か働きかけはあったのかな。 
- 三浦
- 担任の先生はすごく優しくて、無理強いはせずに「みんなが学校終わったあとに来てみたら?」と提案してくれました。それで、放課後に学校に行ったりもしました。 
- 宮澤
- 夏休み明けに再登校したきっかけは? 
- 三浦
- 「そこで一旦区切りをつけよう」と、親と話していたんです。不登校の時期、母は毎朝「学校行くの?」と聞くので「行かない」と言うと軽く怒るんです。仕事から帰ってくると「次は行こうね」と声をかけられて……それが一番つらかったですね。 
- 宮澤
- お母さんは登校してほしかったんだろうけど、つらかったね。夏休み明けはどうでした? 
- 三浦
- なんとなく慣れました。クラスメイトは平均的に仲がいい感じだったので、教室に入りにくい感じはなくて。ただ、最初の一歩を出すのが本当に難しいと痛感しました。 
- 宮澤
- 学校に行っていない間も、まつがくには通っていたんだね。 
- 三浦
- はい。まつがくで出された宿題は真面目にやっていましたね。 
入れる高校にしよう
 
																		- 宮澤
- 学校に戻ってからはどうでしたか? 
- 三浦
- 学校には行けるようになったんですけど、勉強のやる気はないままで提出物も出さなくて。まつがくに通っていたので学習の遅れはなかったのですが。 
- 宮澤
- 部活はやっていたの? 
- 三浦
- バスケ部でした。自分が入部した年からコーチが変わってしまって、いきなりガチガチの……。 
- 宮澤
- もしかして、不登校の理由に部活もあったのかな。 
- 三浦
- ありましたね。部活は平日毎日あって、ダッシュを何本もバテバテになるまでやらされていました。さらに部活が終わったあとは夜7時から、社会人の方との練習に参加しないといけなくて。 
- 宮澤
- そんなにハードだと、勉強のやる気が出なくて当たり前では……。 
- 三浦
- 家に帰ったら寝てしまって、勉強は何もできなかったですね。1年生の間はがんばって続けていたんですけど、2年生からは行かなくなりました。退部も考えましたが、顧問の先生の助言で在籍だけはしていました。 
- 宮澤
- 本当に大変だったんだね。中学の不登校は内申点が気になりますが、高校に渡す調査書は3年生の1,2学期が対象なので、響かなかったのはよかったね。3年になってからの、長野工業高校受験の経緯を教えてもらえるかな。 
- 三浦
- 先生との面談で「当初志望していた篠ノ井高校は厳しい。入れる高校にしよう」という話になりました。内申点はよかったんですが、テストの点が足りなくて。工業高校にしたのは、小学校の頃から理科が好きだったからです。小学校では理科クラブに入っていて、中学でも化学が好きだったので、物質化学科にしました。受験自体はそんなに大変ではなかったです。 
- 宮澤
- 小学校の理科クラブではどういうことをやっていたの? 
- 三浦
- ペットボトルロケットとか、液体窒素で花を凍らせてバラバラにしたり、バナナを凍らせてトンカチにしたり、実験していました。 
2. 好きな化学を探求できる高校生活
工業高校で専門性を深める
- 宮澤
- “長工(ちょうこう)”に入学してどうでしたか? 工業高校は就職が多いイメージですが、最近はそうじゃないと聞きますが。 
- 三浦
- 昨年実績は、就職と進学は半々くらいと進路の先生が言っていました。進学する人は増えています。授業はいわゆる5教科、特に国語と社会は最低限で、その分専門性のある授業が入ってきます。勉強については、まわりの人はあまりやる気がなくて切磋琢磨する感じはないです。実習はすごく多くて、資格も先生がサポートしてくれて取れますよ。とはいえ、勉強も資格取得も自主的にやる感じですね。 
- 宮澤
- 資格はたくさん取っていたよね。 
- 三浦
- 有機溶剤作業主任者と、計算技術検定3級。危険物取扱者・乙種。電気メッキ技能士3級。化学分析技能士2級。全部で5つ取りました。 
- 宮澤
- 資格試験の勉強はどんな風にしていたの? 
- 三浦
- 先生がコピーしてくれる過去問を前日にバーッとやって……。 
- 宮澤
- 一夜漬けか!(笑) 
- 三浦
- 毎年同じ傾向なので、過去問を10年分300問くらいやれば解けます。危険物取扱者試験は4択問題で、テキストを買って勉強していました。 
- 宮澤
- 部活は? 
- 三浦
- 物質化学班です。もう引退していますが、3年で部長になりました。今は班員が7人います。 
- 宮澤
- 化学漬けですね。そういえば、「高校生ものづくりコンテスト」の長野大会と北信越大会に出場したんだね。 
- 三浦
- 化学分析部門で出場しました。キレート滴定法といって、試料水に含まれているカルシウムイオン、マグネシウムイオンを定量します。作業態度、精度や報告書の内容で点数がつけられて順位が出ます。長野県の参加校は岡谷工業高校と長工だけですが。 
- 宮澤
- コロナ下の高校生活で、制限はありましたか? 
- 三浦
- 1年生の時の文化祭はだいぶ縮小して、来校者は入れずにやりました。友だち関係はそこそこですが、腹を割って話せるような友人ができました。 
- 宮澤
- 修学旅行は行けたんだっけ。 
- 三浦
- 本当は2年生の10月に行われる予定が、コロナで延期を繰り返して3年生の12月にようやく行けました。 
- 宮澤
- 1年以上延期されたんだね。 
- 三浦
- 名古屋・三重に2泊3日でした。コロナがなければ沖縄か台湾だったそうですが、行けたのでよかったです。友だちと明け方までずっと話していました。 
- 宮澤
- いいなぁ。すごい青春だなー。長工は女子もいるんだよね。 
- 三浦
- 物質化学科に6人いました。全校だと1,2割くらいです。 
- 宮澤
- そして、信州大学との高大連携事業にも参加していました。 
- 三浦
- 信州大学の研究室で一緒に研究をやらせてもらいました。今年度は、工学部物質化学科で応用生物化学・木質科学を専門にしていらっしゃる水野正浩先生の研究室にお邪魔しました。 
- 宮澤
- 進路希望の学科ですね。 
- 三浦
- バイオの知識が身に着きました。ナタデココ*のような酢酸菌が生成するセルロースの性質や特徴を理解して、どんなことに使えるのかという研究をやりました。 
 *ナタデココ ……見た目は寒天のような、コリコリした食感のフィリピン発祥の食べ物。ココナッツ果汁に酢酸菌の一種である「ナタ菌」を混ぜて発酵させるとできるゲル状の厚い膜がナタデココ。
- 宮澤
- まったく想像がつかない(笑)。 
- 三浦
- バクテリアセルロースは生物適合性が高くて、人工臓器にも役立つそうです。先日やっと、研究内容をまとめたPowerPointが完成しまして。学校が終わるのがだいたい午後4時で、そこから午後7時までまとめるということを2週間くらいやっていました。 
- 宮澤
- 希望者はだれでも参加できるの? 
- 三浦
- 希望者でなおかつクラスの成績上位10%に入っていないと参加できないんです。調査書にも書けるので有利になるだろうという考えもありました。 
工業高校推薦枠に賭ける
- 宮澤
- 信州大学工学部には「工業高校推薦枠」があって、学科で1位になると受験できます。翔万くんは、そもそも大学に行きたいという希望があったんですよね。 
- 三浦
- 高1の時から進学したいと思っていました。 
- 宮澤
- 「3年間めちゃめちゃ頑張って、篠ノ井高校の上位の子たちでも行けないような進路をつかんでみないか。悔しい思いをしたんだったら、その分3年間に思い切りぶつけて、やってみようよ」という話をした記憶があります。 
- 三浦
- はじめはそんなに現実味がなかったんですよね。 
- 宮澤
- 学科1位、41人中トップはハードル高く感じた? 
- 三浦
- そうですね。自分より勉強している子は絶対いるだろうなと思っていたので。母も「さすがに無理じゃない?」という感じでした。 
- 宮澤
- 最初、僕の言うことを誰も信じてくれなかった(笑)。お母様はずっと半信半疑だったよね。翔万くんが高1の時、お母様から「篠ノ井高校に行きたかったけど行けなかった」と聞いていて、いちばん感じたのは不登校という状況を支えきれなかった“悔しさ”でした。お母様のエゴというより、翔万くんへの心配からきていて。「高校受験を成功させてあげることができなかった。自分の力が至らなかった」という責任感と悔しさが伝わってきました。まっすぐなお母様だよね。 
3. 高1からの大学受験準備
高1からひとり受験体制に
 
																		- 三浦
- 宮澤先生には高1から見ていただいています。 
- 宮澤
- 春期講習で、ちょうどアタマプラスに切り替えたばかりの時期だったよね。慣れない勉強の仕方だけど、すごく積極的にやってくれていて。 
- 三浦
- タブレット学習は初めてで少し不便は感じつつも、扱いや勉強はすごく楽でした。まつがくでの勉強は、学校の授業の復習という感じでやっていました。 
- 宮澤
- 僕の意識の中では高1の6月から受験体制になったんだけど、翔万くんのモードがそこでガラッと切り替わったかは微妙でした。 
- 三浦
- そうですね。 
- 宮澤
- 大学受験と工業高校はカリキュラムがかけ離れていて、工業高校の進度に合わせると大学受験にまったく間に合わないどころか、知らない問題ばかり解くことになります。大学受験を視野に入れるなら、高校の授業と関係ない勉強をたくさんしないといけません。……ということを高1の時点で翔万くんに伝えて、「ここからは信大目指すから、つらくて大変だけどよろしくね」という話をした覚えがあります。 
- 三浦
- その時から週2のペースに変えて、アタマプラスで数・英をやっていました。それでも間に合うのかなとは思っていました。 
- 宮澤
- 学校の定期テストはほとんど手伝っていなかったしね。 
- 三浦
- そうですね。 
- 宮澤
- 工業高校の定期テストは、事前に配られたプリントを暗記するなどわりと対策しやすかったのと、翔万くんは自分で勉強できる姿勢が身に着いていたので、完全に信頼して任せていました。その代わり、大学受験のための勉強は塾で担うよ、と。翔万くんの課題は英語でしたが、大学受験用にやっていれば学校のテスト対策はいらなくなります。とはいえ、学校の授業とぜんぜん関係ない勉強を続けるのは、大変だったよね。 
- 三浦
- 大変でした。 
- 宮澤
- アタマプラスはレベルが3段階あるんですが、翔万くんに関しては特にレベルを意識した指導はしていませんでした。それでも、最後は共通テストの過去問までやっていたよね。 
- 三浦
- レベル2の共通テスト過去問ですね。 
- 宮澤
- そうとう高いレベルまで行きましたよ。普通科でやることをコンプリートした上で大学受験を迎えるイメージだったので、すべての単元を網羅することを目標にしていました。普通科の人からすると当たり前ですが、工業高校の英語では不定詞や関係副詞は扱わないですから、全部の単元を終わらせるというのはなかなかの偉業ですよ。授業で何となくやったという手ざわりが一切なく、まったく知らないことをやるわけですから。アタマプラスをやりつつ、独学の部分もあったよね。 
- 三浦
- 参考書として『総合英語Evergreen』を買いました。単語は単語帳を使わず、長文の問題集で分からない単語があったら別の紙にメモして覚えていました。 
- 宮澤
- あと、アタマプラスの読解問題で分からない単語を全部拾うように指示していました。よくがんばったし、耐えてくれました。高校の英語の授業は簡単に感じられたでしょう? 
- 三浦
- 3年生になった時、3年の範囲は自分で勝手に進められるなと感じられるくらいには力がつきました。授業で出るプリントも早く解けてしまうので、あとは自主学習していました。 
- 宮澤
- すごい。翔万くんの強みは「継続力」と「努力」ですね。そこをいちばん生かした指導は何かと考えた時に、本人は大変ですけど、単語を1個1個インプットしてもらうようにしました。それにしても、高1から受験勉強だから途中でやめたくなったことはなかった? 
- 三浦
- それはなかったんですけど、毎回テストでいい成績を取らないといけなかったので、そのプレッシャーがありました。 
- 宮澤
- 専門科目はまつがくではフォローできないところなので、自分でがんばるしかない。 
- 三浦
- 信大の指定校は学科1位が目安ですし、評定を取る上でテストは重要だったので。1か月くらい前から提出物をやって、それが終わったら範囲の問題を2,3回解くことを繰り返していました。 
- 宮澤
- 提出物はあまり出していなかったという中学時代とはうってかわって、真面目にやっていたんだね。 
- 三浦
- 意識を変えてやっていました。 
- 宮澤
- 高2の1学期には、専門学科で学年1位を取れるものが出てきました。数学も良かったよね。2位、3位とか。2年生の時は学科1位も何度か取ったはず。 
- 三浦
- 2,3回ありましたね。学年でも10位以内に入れていました。 
読解力がカギになる
- 宮澤
- 苦手だった国語も克服しました。 
- 三浦
- 漢字は問題集を解いて点数を上げました。 
- 宮澤
- 国語は1年生の時はあまり点数が取れていなかったんですけど、読解問題に限るとけっこう取れていたんですよ。1年生の時は学校の先生が特殊で、テストが文学史や暗記系に偏っていました。文学史の配点が40点くらいあったよね。 
- 三浦
- 「この小説は誰が書きましたか」というような問題でした。先生は、僕に読解力があるというのはどこで分かったんですか? 
- 宮澤
- 塾で数学をやっている時に、アタマプラスの講義や解説を一発で理解して次に進んでいたのを見て、読解力があることは分かりました。atama+は我々講師もサポートしますが、ある程度は自分で解説を読み込む必要がある教材です。すらすら解き進めるには、読解力が鍵になるんです。 
- 三浦
- それは盲点ですね。 
- 宮澤
- 我々講師が苦労するのは、アタマプラスの解説を読めるような読解力をつけることです。「解説でこういうふうに書いているから、こういうことだよね」とアシストすることは小学生や中1くらいまでは日常的にやっています。翔万くんの場合は、比較的高度な内容でも解説を自分で読んで自分で理解するというルーティンができていました。 
- 三浦
- 読解力をつけるためにはどうしたらいいんですか? 
- 宮澤
- その子が得意な“認知”に合わせることですね。視覚の認知が優位な子と聴覚の認知が優位な子の2パターンあります。翔万くんは視覚優位だよね。聴覚が優位な子は、解説を一緒に読んであげるだけでけっこう入ります。視覚優位の子は、書き写させて自分で読ませる。何がフィットするかは千差万別なので、その子の特性に合わせて文章を頭に入れていく作業で地ならしをします。読解力が身につくと、atama+での学習が更に効果的に、そして効率よくスピーディーに進みます。 
4. ひたすら修正を繰り返す受験対策
総合型選抜対策モードへ
 
																		- 宮澤
- 翔万くんが高2になった頃から、「このままいけば信大への道に完全に乗るな」という感触がありました。翔万くんはどうだった? 
- 三浦
- テストも結果が出ていましたし、あとは有利になる資格が足りるかなという感じでした。 
- 宮澤
- そして、高3の9月に総合型選抜の校内選考を通過します。他にも狙っていた子はいたの? 
- 三浦
- もうひとりいて、実はその子が成績では学科1位で自分は2位だったんです。どういう判断で自分が選ばれたのかは分からないのですが、1年生の時から信大に行きたいと宣言していたのと、資格を多く取っていたことがよかったのかなと思います。あくまで推測ですが。 
- 宮澤
- ここからは、完全に総合型選抜対策モードに切り替わりました。9月から「自己推薦書」と「志望理由書」を書いては添削することを繰り返しました。10月頭の書類提出後は、面接と口頭試問の練習。 
- 三浦
- 11月以降は試験までほぼ毎日、夜10時を過ぎることも多かったです。書類は自己推薦書が難しくて、自己表現がうまくできなくて本当に悩みました。 
- 宮澤
- 自分のことをアピールするのが苦手だったね。何回書き換えたかな? 
- 三浦
- 10回は超えていたと思います。僕は自己評価が低いので。 
- 宮澤
- 実績のことはちゃんと書けているのに、そこから何を得たかとか、それが大学にどう繋がるのかとか、それによってこういう能力が深まったとかが書けない。忍耐力や継続力は僕から見ると自明の能力だったんですけどね。1年生から信大目指して努力しているのはすごいし、資格もたくさん取った。でも本人はなかなかそう思わなくて、そこは正直歯がゆさを感じなら、少しずつ「翔万くんはこういうところが強みだと思うよ」と伝えていました。だいぶ言語化できたと思うけれど、自分に対する見方は変わった? 
- 三浦
- 変わっていないです。 
- 宮澤
- 自己評価は今も低いの? 
- 三浦
- (きっぱりと)はい。 
- 宮澤
- そんなにきっぱり言えるってことは、逆に自己評価が高そうだけど!? 口頭試問の練習では、特にもともと苦手な英語が大変だったね。 
- 三浦
- 英文を2分間黙読して、3分間で和訳するという形式でした。 
- 宮澤
- その練習をひたすらやったね。過去問はないので、持っていたテキストなどから出題して目の前で英訳してもらって、逐一フィードバックして。信大ならこのレベルだろうと推測でやるしかなかったんですが、僕が想定していた問題が難し過ぎて、実際はもっと簡単だったという(苦笑)。余計な苦労をかけました。 
- 三浦
- 試験前日、自分で持参した英文が難し過ぎて、泣いてしまいました。 
- 宮澤
- 信大だったらこれくらい出すかなという範囲だったのでやってみたら、単語もぜんぜん分からない難しさで。前日にあのレベルをやったのは僕の判断ミスでした。自己推薦書の時、翔万くんは必ず翌日までに修正していました。僕は毎日2,3時間一緒にやるだけですけど、翔万くんは1日中ずっと考えている。面接練習も最初はあんまりしゃべれなかったりつっかえたりしていたのを、時には厳しいことも言って毎日修正して。その経緯があっての、あの夜だったのかなと思います。 
- 三浦
- あの期間は、学校の授業が終わったら学校の先生にまず面接の練習をしてもらって、そのあと夜8時から宮澤先生に面接の練習をしてもらっていました。 
- 宮澤
- 学校の先生と僕が言うことが違って翔万くん混乱させたこともあったね。翔万くんから学校の先生に言われたことを全部教えてもらって、それを踏まえてアドバイスするようにはしていたんですが、それでも齟齬が生じてしまって。実際、どんな風にやっていたの? 
- 三浦
- 宮澤先生に見てもらって修正して、また学校の先生に見てもらって修正してというのを何往復もしていました。 
- 宮澤
- 化学の口頭試問は学校の先生がご専門ですから、お任せしようという判断でした。まつがくでは信大生の講師にお願いして数回やったかな。 
- 三浦
- 学科に昔の出題資料が保存してあったので、それをコピーしてもらって解いたり、教科書をもう1回読み直したりしていました。 
- 宮澤
- この時期、ご家族はどうでした? 
- 三浦
- 母は、僕がお願いしたことは手伝ってくれますが、あとは自主的にやってという感じだったので、自分に任せてくれていると感じていました。父もわりと放任タイプで。不登校の時期は母から口うるさく言われたこともありましたが、中学の頃から信頼して任せてくれているのはずっと感じています。 
試験当日の不安と安堵
- 宮澤
- そして、11月20日を迎えます。 
- 三浦
- 会場に入ったら、自分だけ受験番号が違ったんですよ。 
- 宮澤
- ええっ、そうなの? 初めて聞いた。 
- 三浦
- 「これ、もしかして同じ方式で受ける人が自分以外いないってこと?」と思って。岡谷工業高校や県外の工業高校からも受験生が来るかもしれないと思っていたので、その不安がなくなって気持ちが落ち着きました。それに、他の受験生は直前の勉強をしていて雰囲気が違ったんです。筆記試験を受けるのかなと思って見ていました。 
- 宮澤
- 面接はどんな感じだったの? 
- 三浦
- 面接官は3人でした。緊張していて僕の声は震えていたと思います。聞かれる内容は一般的なもので、練習していたので問題なく答えられました。化学の口頭試問は問題数が多くて、半分くらいしか解けなくて不安になって。英語は……問題を見て「あっ、(文章量が)少ない!」(笑)。 
- 宮澤
- 逆じゃなくてよかった(笑)。 
- 三浦
- もうひとつ話したいことがあるんです。前夜に泣いた後、先生になぐさめられた時のことです。「渡した資料でもう合否は決まっている」という話をしていただいて。 
- 宮澤
- 自己推薦書と志望理由書と、3年間の評定などの実績はすでに大学に送られています。「面接と口頭試問はその確認作業の10分間で、明日どうであろうと3年間の実績は揺るがない。3年の実績に自信を持って気軽に受けてきなよ」と言った記憶があります。翔万くんは泣きが入るほど精神的に大変なのは分かっていたので、がんばれという気持ちでした。 
- 三浦
- 先生の励ましで気持ちがほぐれました。 
おうち焼肉で祝いました
- 宮澤
- 合格発表は10日後でした。 
- 三浦
- 発表は1時からだったので、学校でスマホの更新ボタンをずっと押していました。親にまず電話して、それから宮澤先生に。親は「今夜は焼肉」って言っていました(笑)。 
- 宮澤
- やったー! お母様、すごく喜んでいたもんね。焼肉は食べに行ったの? 
- 三浦
- おうち焼肉でした。 
- 宮澤
- いいなぁ。おいしかったですか? 
- 三浦
- はい。祖母と両親、僕の家族4人でいっぱい食べました。 
- 宮澤
- 翔万くんには言っていないですけど、正直受かるだろうなと思っていたので、聞いた時はすごく嬉しかったです。翔万くんの電話口の声が、聞いたことないくらい嬉しそうで。達成してすごいなという尊敬の念と、本当によかったなという安堵がありました。 
- 三浦
- 進路の先生から学力をつける名目で受けるように言われて、共通テストも受けました。 
- 宮澤
- 信大の入試前2,3ヵ月は通常の勉強はまったくしていなくて、共通テストの勉強も正味1か月程度だったのに、点数が取れていたね。 
- 三浦
- 合計336点でした。 
- 宮澤
- 数Bは50点。工業高校のカリキュラムで共通テストの数学5割は取れないですから、がんばりましたよ。翔万くんを見ていて、やっぱり高校1年生から目標を見定めて勉強するのは大事だと再確認できました。高校1年生は基本的に勉強しません。なぜかというと、目標がないからなんですよね。結局、中学の延長線上で定期テストに追われたり、部活に追われたりして生活が場当たり的になっていくケースが多いんです。 
絶対、研究者になってほしい
 
																		- 宮澤
- 工学部だと1年目は松本だね。寮に入る予定だと聞きました。大学に入ったらやりたいことはある? 
- 三浦
- 本をたくさん読みたいです。高校ではまったく読んでいませんでしたが、小学校の時は毎日読んでいたんです。好きなのは、小説やライトノベルですね。 
- 宮澤
- 将来の夢は考えていますか? 
- 三浦
- 触媒の開発に携わる研究者になりたいです。触媒は反応速度を早めたり、少ないエネルギーで反応を進めたりできるところに興味を持ちました。今あるものより効率のいいものをつくりたいです。 
- 宮澤
- 今の答えは面接の成果が出ているね。地球温暖化の解消に興味があると言っていたよね。 
- 三浦
- 2019年の台風19号ですね。ニュースでは長野県は大丈夫と言われていたんです。でも長野市では大きな被害が出てしまって、今まで通りが通用しない気候変動の影響を強く感じました。 
- 宮澤
- 友だちが被災してしまったんだよね。 
- 三浦
- 家の1階が浸水したと言っていました。 
- 宮澤
- 身近なところで感じたんだね。翔万くんは、中学時代にうまくいかないことがあったじゃない? でも高校でがんばって結果が出せた。これから挫折や諦めないといけないこと、つらいことはあると思うけれど……この3年間の努力で得た自信は、どんな時も失わないでほしいな。3年間という年月をかけてずっと勉強して夢に向かって、ひとつの目標を達成した。うまくいかなかったところから這い上がった経験は一生、活きるから。だから負けずにがんばってほしいし、絶対研究者になってほしい。 
- 三浦
- はい、がんばります。 
- 宮澤
- これだけの達成をしたにも関わらず、自分のことを過小評価、否定しがちなんだよね。 
- 三浦
- 「信大は毎年行くから……」ってやつですね。 
- 宮澤
- そうそう。「信大は毎年、(工業高校推薦枠で誰かが)行くからぜんぜん普通ですよ」と言ってしまうところ。自分を後ろに下げるところは翔万くんの美徳のひとつではあるのですが、自分の努力は自分で認めてあげてほしいな。そこは指導していてすごく感じていました。面接はもうしばらくないから対外的にアピールする必要はないんだけど、自分の内側では肯定してあげてほしいなと思う。 
- 三浦
- 分かりました。 
- 宮澤
- 本当に分かった?(笑)。翔万くんの自己肯定感は大学でじっくり高めてもらうとして、3年がんばった末の合格は本当に偉業だと思います。おめでとう! - (取材・文/くりもときょうこ) 
 
					 
									