新潟県燕市といえば、金属加工業で世界的に有名な“燕三条”ブランドとして名高い、ものづくりの町です。「まつがく吉田校」はその燕市の中心部近くに位置します。
高3の夏休み前に吉田校に入塾した林田倖和さんは、わずか5か月後に学校推薦型選抜の合格を手にします。通常ならあり得ないような受験合格への道のりですが、つぶさに見ていくと、さまざまな要素が重なっていたことが見えてきます。
特別なケースとも見ることはできますが、進学校ではない高校から合格に繋げていった本人の努力と思い、先生の心強いサポートには、多くのヒントがありそうです。
大学では先輩になる校舎長の若月渉先生と一緒に、林田さんの受験期を振り返ります。
林田さんのタイムライン
| 高3・7月 | 3回の体験を経て入塾 | 
|---|---|
| 7~8月 | 夏休み中に、アタマプラスで数学Ⅲと物理を進める。特に学校で未修のところを優先する | 
| 7月の学校面談で学校推薦型選抜の話が出たことで、まつがくの面談でも学校推薦型選抜を視野に入れる。一般入試の準備も必要なので、秋からは過去問を中心とした実践問題に取り組むことに | |
| 夏休み中の模試の結果が思わしくなく、学校推薦型選抜に注力する方向へ修正。同時に、数学メインで受験できる私大選びも始める | |
| 9月 | アタマプラスの目標単元はほぼ終了。数学の過去問を、他県の大学、私立文系、新潟大学などさまざまなレベルで進める。面接の準備も進める。考えておくべき質問を宿題にして次回添削することを繰り返す | 
| 10月 | 面接練習を行う | 
| 11月 | 面接は完成。新潟大学の4年以上前の過去問などに取り掛かる | 
| 11月19日 | 学校推薦型選抜試験。私大受験の準備のため、英語をメインに勉強を始める | 
| 12月3日 | 合格 | 
1. 数学に真摯に向き合える力
夏休みが本番のつもりだった
 
																		- 若月
- 倖和くんは、まつがくに入って5か月で合格という短期集中でした。初回面談は7月14日で、3回体験して7月22日に入塾しています。 
- 林田
- 自分的には夏休みが本番だと思っていて、夏休み前から塾で勉強できればいいなと思っていました。 
- 若月
- 周りのクラスメイトもそんな感じ? 
- 林田
- 塾に入っている人はあんまりいませんでした。 
- 若月
- 分水高校は比較的新しいとは言えない高校で、進学校ではありません。新潟大学進学は学年にひとりいるかどうかで、恐らく同じような進路を考えている友だちがほとんどいない環境でした。初回面談はお母様が一緒でしたが、塾に行くことについてはどんな話をしましたか? 
- 林田
- お金の話だけで、他の話はあんまりしていないです。 
- 若月
- 新潟大学はもともと志望していたの? 
- 林田
- そうですね。自分、大学行くなら数学科に行きたくて、県内だと新潟大学しかなかったので。塾を考えた時に、別のところも見に行きました。でも、ガチ感があって自分にはキツイなと思って。まつがくでアタマプラスを体験して、基礎的なところから復習できたのがよかったのと、気楽にやれそうだなと思って決めました。 
- 若月
- 入塾が高3の7月だったので、正直「きついな~」という気持ちでした。それまで倖和くんがどんな風に勉強してきたか、流れが分からなかったので。 
アタマプラスを自分でどんどん進めていく
 
																		- 若月
- 倖和くんは、大変なんじゃないかという予感はありましたか? 
- 林田
- そうですね。自分は特別勉強できるわけではなかったので。 
- 若月
- アタマプラスで基礎固めしつつ、範囲を終わらせることに注力しました。アタマプラスでの勉強はどうでしたか? 
- 林田
- 学校で習ったところをしっかり復習できて、あんまり覚えていなかった部分も固められたので、自分のためになっている実感がありました。 
- 若月
- 夏休みはほぼ毎日に近いペースで来てくれていました。加えて自宅でも勉強して、アタマプラスに関しては本当にガンガン進めてくれて、すごく印象に残っています。学校でまだやっていないところもやらなければならなかったので、初見の問題が多くて大変だろうと思っていたんですが、そこも早くクリアしていました。これだけの勢いで勉強するというのはそれまでなかったと思うんだけど、苦にならなかった? 
- 林田
- アタマプラスをクリアすることが楽しくて、ゲーム感覚でできました。初見の問題は何度かつまずきましたが、解説動画を見たり、パソコンで調べたりしていました。 
- 若月
- 私がアドバイスせずとも、彼自身がどんどん先に行っていました。だから、私の役割としては間違った方向に進まないように気に掛けるだけで、指示はほとんど必要ありませんでした。倖和くんは自分で調べられるところは自分で納得するまで調べるし、分からないところは質問してくれるので。すごく自主的にがんばってくれました。 
 学校推薦の話もあったので、とにかく数Ⅲを終わらせなきゃいけないという前提があったよね。英語は、文法は学校で範囲を終えていたので、単語を覚えることに集中して最低限やろうということになりました。
- 林田
- 英語はまず単語からと思って自分の単語帳をやっていました。国語はほとんどやりませんでした。 
数学が好き
- 若月
- 倖和くんは数学に真摯に向き合う力がありますよね。数学はいつから好きだったの? 
- 林田
- 小学校の頃からずっと計算問題を解くのが好きで、自分でも向いていると感じていました。 
- 若月
- 数Ⅲは、入試の前期日程では範囲外。推薦入試でしか扱わないので、集中してやるのは数学が好きな子くらいなんです。倖和くんは、ものすごく難しい内容でもちゃんと考えるところがすごいと思います。数Ⅲでそれができる人はほぼいません。それはもう、数学科を目指す子の素質としてとても重要なことなんです。しかも、倖和くんは計算好きでありながら、証明問題に手を抜くこともない。 
- 林田
- 計算好きと証明好きは違う能力なんですか? 
- 若月
- ぜんぜん違いますよ。だから、両方取り組めるというのは私としてはあり得ないんです。私も計算が好きなんだけど、「正しいと分かっていることを証明する」のは無駄と感じてしまって、証明は苦手でした。 
- 林田
- 証明は、自分的には初歩的な考え方からできて、そこから式を導くのが楽しいですね。クラス担任は数学の先生だったので、分からない問題をいろんなやり方で教えてくださったり、大学の数学はどんな問題をやるかを教えてくれたりしました。 
- 若月
- だから先生は倖和くんの数学の素質を見抜いて、学校推薦の話を出したのかもしれないですね。 
- 林田
- 若月先生も巻高校から学校推薦で新潟大学数学科に合格していますね。母がまつがくに問い合わせの電話をした時に、「理学部に行った先生がいる」という話を聞いて興味をひかれました。 
- 若月
- 私が合格したのはまあまあ前なので、今とは変わっているところもあります。ただ、どう向かえばいいかは分かります。学校推薦用の準備はしていましたし、当日はこんな感じだったという話も倖和くんに伝えることができました。新潟大学はとても広いので、絶対迷うから事前に必ず行っておいてという話もしました。 
- 林田
- 変わった先生が多いという話も(笑)。 
- 若月
- (笑)。数学科の先生は、当然数学がしっかりできるのは共通しているのですが、人付き合いのうまい下手は教授としてなくてもいい能力なので、先生によっては非常に個性的な方もいましたね。あと、見た目をあまり気にしない先生も多かったです。 
 自分が一番衝撃を受けたのは、教室に入ってきた先生が黒板を見て「あれ、誰も問題解いていないの? じゃあもう今日は終わりでいいね」と帰ってしまった授業でした。何も知らされてなかった私たちは「はぁ」と呆気にとられましたよ。その授業は、始まる前に学生が黒板に問題を解いておいて、ひとりひとり解説するという授業だったんですよね。先輩に聞いてくれた子からそういうスタイルだと教えてもらって、ようやく授業が成立するようになりました。学生自身が問題も考えて解いておかないと授業が始まらない(笑)。
- 林田
- すごい授業ですね。 
2. ギリギリの挑戦
狙っていた学校推薦だけど……
 
																		- 若月
- 学校推薦型選抜は、高校側が見込みありと判断しないとそもそも話が出ないよね。推薦が取れるといいなとは思っていた? 
- 林田
- そうですね。狙ってはいたので、7月に学校から話が出て嬉しかったです。 
- 若月
- 学校での成績はけっこう良かったんだよね。 
- 林田
- はい。でも、模試になるとダメでした。そこは、自分の高校のレベルもあると思います。 
- 若月
- 分水高校の新潟大学への学校推薦の実績は見ましたか? 
- 林田
- 受験するとなった時に過去の資料をもらって見ました。1年にひとりいるかどうかで、過去に理学部に合格した先輩がいました。 
- 若月
- 初回面談で学校推薦の話が出たことは聞いていました。学校推薦と一般入試はそれぞれ対策が違うので両立が大変だなと思いつつ、本人が望むならチャンスが広がるからやりたいと思っていました。それが、8月に学校であった共通テスト向けマーク模試の結果が……。 
- 林田
- 自分が自己採点の点数を先生に伝えて……。 
- 若月
- 一般の前期入試は厳しいなという話になりました。本来であれば、学校推薦も前期入試も両方がんばるのが正解です。学校推薦が、合格を確約してくれるわけではありませんから。 - 倖和くんは、数学など理系科目は点が取れるんだけど、国語や英語がどうにも良くない。数学は楽しく勉強できるけれど、国語と英語はそうじゃないことがはっきりしていました。だから、前期ももちろん大事なのは重々承知の上で、倖和くんの場合は恐らく学校推薦のほうが合格の確率が高い。もちろん絶対はありませんよ。倖和くんというあくまで特別なケースに限っては、確率が高くて時期が早い学校推薦にまずは集中して、やるだけやってみようかという話をしました。 
- 林田
- 自分的にも模試の結果を見て、たぶん一般入試では難しいと感じていたので、先生の提案はすんなり受け入れられました。 
- 若月
- 学校推薦だと、受験科目が数学と面接だけだったんです。ただ、倍率は厳しい。 
- 林田
- 今年は7人定員のところに26人が受験していました。 
- 若月
- 3.7倍だから、4人にひとりだね。しかも、受験当日まで分からない。 
- 林田
- 過去のデータから厳しいことは分かっていましたが、プレッシャーにしかならなかったですね。 
- 若月
- 断崖絶壁の上の細~い道を歩くようなものですよ。日程が早くて確率の高い方に賭けることにしたものの、気が気じゃありませんでした。 
一度心を折る経験をする
- 林田
- 9月からは学校推薦対策として、過去問に取り組みました。でも、最初は私立文系の数学の過去問だったんですよね。 
- 若月
- 私の狙いでそこから始めました。傾向として、もちろん難しい問題も出るんですが、いろんな考え方ができるかどうかを試す問題が多い。そういった問題は、私大文系の数学の問題によく出るんです。それをひとつひとつこなして力をつけることから始めてもらいました。 
- 林田
- 最初は、「えー、何これ」と思ってやっていました。 
- 若月
- 最初はね。それから他県の国立大学、他県の私立大学の数学の問題に移っていって。河合塾が出している『文系の数学』 という、なかなか噛みごたえのある過去問集もやりましたね。文系数学といっても早慶レベルなので、本当に難しい。 
- 林田
- 心が折れました。 
- 若月
- 知ってた(笑)。 
- 林田
- 初見で解けることがほぼありませんでした。途中までは解けるんですけど完答は無理なので、先生からのアドバイスもあって、あとは答えを見ながらどういう風に解けばいいのか学習していました。新潟大学の過去問と比べても、段違いに難しかったです。 
- 若月
- その後に新潟大学の過去問に入ったので、レベル的には下がりました。倖和くん、楽しそうに解いていましたよ。 
- 林田
- 先生の戦略ですね。 
- 若月
- 倖和くんは私よりも数学に真摯に向き合う力があって、ずっとすごいなと思って見ていました。しかし、甘く考えている節があったので、一度は心を折る経験をしないとまずいと思っていました。心を折る経験はもちろんリスクもあるので軽々にはできませんが、倖和くんはよくがんばってくれました。実際、新潟大学の過去問が解きやすく感じられるようになって、本番でも「いつもより簡単に思えて楽しく解けた」と言ってくれたので、狙い通りでした。 
- 林田
- この時期、先生はペース管理をやってくれていました。1週間単位で「今週はこれをやってね」と伝えられて。 
- 若月
- そうだね。「これを全部終わらせるのが目標」という話をして、入試の何週間前までに終わらせる必要があるから、1週間でこれ、2週間でこれという話をしたね。 
- 林田
- 難しい問題になると自分の理解が追いつかなくて1週間じゃ終わらなくなった時もありました。 
- 若月
- この時期は、毎日何時間くらい勉強してた? 
- 林田
- 平日は、学校が終わってまつがくで3時間、家で3時間の合計6時間くらいです。数学が好きなので、そんなに苦ではありませんでした。 
- 若月
- この時期は「ちゃんと寝てね」と言っていました。 
- 林田
- そうですね。夜の11時くらいから午前2時くらいまで勉強していたので。 
- 若月
- コロナのリスクもあるし、体調を崩すのが一番点数を下げてしまう時期なので、無理は禁物です。 
- 林田
- この時期の1,2か月は、睡眠時間が4時間から4時間半くらいでした。それまでは毎日6時間は寝ていたので、睡眠不足ではありましたね。 
- 若月
- 高校受験の時はそこまで勉強していなかった? 
- 林田
- そこまではやっていませんでしたね。もしこれくらいがんばっていたら、入れた高校も違っていたかもしれないです。 
面接と最後の仕上げ
 
																		- 林田
- 面接の練習は10月後半からでした。学校でもやっていましたが、まつがくでもやって。 
- 若月
- 11月には完成していたね。 
- 林田
- 自分的にはすごく不安だったんです。でも、先生的には「悪くはない」という感じで。 
- 若月
- 数学科は数学に関する質問が多くあるので、そこを重点的にやっていました。面接練習は10月後半からでしたが、9月くらいから下準備はしていました。質問を書いた紙を渡して考えてもらう練習です。いきなりしゃべるのは難しいですし、面接はごまかしがきかない。まず考えて書くことでストックをつくる狙いでした。 - 基本的な質問である「志望動機」「高校でがんばったこと」「大学でがんばりたいこと」はもちろんのこと、数学科ならではの「なぜ数学に興味を持ったのか」とか、「将来、数学とどう関わりを持っていきたいか」といったあたりをいっぱい考えてもらいました。 
- 林田
- その練習のおかげもあって、11月に入る時点で面接はOKが出ました。 
- 若月
- 新潟大学の過去問も終わっていました。最後は、新潟大学のさらに前の過去問をやってもらいました。いわゆる“赤本”には直近3年分しか掲載されていないんです。それより前の過去問をネットからダウンロードして渡しました。 
- 林田
- まだあったのか、と思いました。 
- 若月
- 最後は、本番で力を出せるように時間配分などを確認したかったんです。あとは、きれいに書くこと。数学は完答できなくても途中式が正しければ、その分点数をもらえます。だから、採点する人が読み取れるようにきれいに書く練習をしてもらいました。 
- 林田
- 問題を考えていると、字が小さくなってしまう癖があったんですよね。 
- 若月
- そう、字が小さい。このままだと、取れるものも取れないという心配がありました。 
高校生活と家族のこと
- 若月
- 倖和くんはサッカーが好きで、高校の部活も本当はサッカーやりたかったんだよね。 
- 林田
- はい。小規模校で生徒数が少ないのでサッカー部がなくて。それで、部活は入っていなかったです。 
- 若月
- 受験勉強の息抜きもサッカー? 
- 林田
- 学校推薦の試験が終わった後、私大向けの勉強をしていた時は、ちょうどワールドカップをやっていたんすよ。だから、観戦しながら勉強しようかなという感じでした。 
- 若月
- それは勉強にならないね(笑)。高校はひとクラス何人? 
- 林田
- 32人です。クラス全員と話せる感じでした。 
- 若月
- 高校は一般的に1クラス40人前後だから、少ないね。高校生活3年間は、まるまるコロナ禍だったんだよね。 
- 林田
- そうですね。だから、あんまり行事もできなくて。友だちと学校外で会う機会もあんまりありませんでした。 
- 若月
- 受験期間、ご家族はどんな風に接してくれていましたか? 
- 林田
- 自分が勉強ばっかりしているんで、両親や姉は「倖和が勉強しているのに、自分たちが買い物とか楽しいことをしている場合じゃない」と思っていたみたいです。 
- 若月
- コロナも心配だもんね。 
- 林田
- 両親には「コロナに気を付けてね」「帰宅したら絶対手は洗ってね」とお願いしていました。 
- 若月
- 勉強については何か言われることはあった? 
- 林田
- 進路については、自分のしたいことをしたほうがいいと言われました。勉強については、言われなくてもやっていたので、何も言われませんでした。 
3. 試験は楽しかったです
周りが自分より頭良さそうに見える
- 若月
- 受験日は11月19日でした。前日はどうやって過ごしていたの? 
- 林田
- 前日は、面接でこう聞かれたらこう答えようと、頭の中でシミュレーションしていました。当日は、親が大学まで車で送ってくれたんですが、先生に言われた通り一度行っておいてよかったなと思いました(笑)。 
- 若月
- 道が混んでいると1時間くらいはかかるもんね。 
- 林田
- 問題を見るまでは、周りが自分よりも頭の良さそうな人ばかりに見えて、ちょっと怖かったです。 
- 若月
- 面接はどうだった? 
- 林田
- 試験官3人に自分ひとりで、試験官は数学だけやってそうな先生ばかりでした。数学に関する質問が多かったんですけど、自分の答えが正しかったのかどうか分からなくて不安になりました。 
- 若月
- 先生の反応は、「ふうん」みたいな感じでしょ。「筆記はいけたんですけど、面接がちょっと心配です」って言っていたもんね。 
- 林田
- 先生の戦略が功を奏して、筆記は楽しくやれました。 
- 若月
- 感想がおかしい(笑)。私の時は、解答欄を半分も埋められたかどうかでしたから。でもね、正直、筆記が大丈夫という言葉は信じられなかったんだよね。自分の時の感覚だと、「あの問題で大丈夫って言えるなんて」という感じだったので。筆記でほぼ決まるというくらい難しいですから。 
- 林田
- 先生、どういう問題だったか聞かなかったですよね。 
- 若月
- そこに関しては終わったことなのでね。結果が出るまでは、手ごたえがあってもなくても、次に向けて準備はしないとねと思っていたので。 
2022年ワールドカップと合格
 
																		- 林田
- 合格発表は、自分が学校に行っている間に、オンラインで親が確認してくれました。学校が終わった時にLINEを見たら「受かっていた」とメッセージが来ていて。でも、「親が受験番号を見間違えているだけなのでは?」と思っていました。 
- 若月
- (笑)。 
- 林田
- 倍率も高かったし、受かってないかもな、という気持ちがありました。自分でスマホで確認して、郵便で合格通知も来て。でも、なかなか実感が湧きませんでした。 
- 若月
- 合格から20日ほど経ったけれど。 
- 林田
- 自分が新潟大学のレベルにぜんぜん追いついていないのは分かっているので、これからもっと勉強しないと、と思っています。共通テストも受けるので、今もまつがくで共通テストの過去問をやっています。先生は、自分が合格した時にコロナで倒れていましたよね。 
- 若月
- はい。コロナ発症1日目でした。教室に合格の連絡をくれたことを、別の先生がメールで教えてくれました。39℃の熱にうなされながら、自宅から親御さんに連絡しました。すごく嬉しそうにしていましたよ。 
- 林田
- 「おめでとう」とは言われました。 
- 若月
- じゃあ焼肉でも食べに行こうか、という流れは? 
- 林田
- なかったですね。合格発表の時、ワールドカップの日本対スペインの試合があって、日本が一次予選を通過したことのほうが嬉しくて。 
- 若月
- (笑)。倖和くんにとっては、2022年のワールドカップと大学合格がセットで記憶されることになるね。筆記の手ごたえの自己申告は、最初は懐疑的だったんだけど、「そういうことなんだな」と納得しました。倖和くんは、数学に対する姿勢が本当に真摯なので、ダメならダメと言うだろうなとも思っていました。本当にすごいことですよ。 
私立大学の受験対策
- 林田
- 学校推薦の試験が終わってからは、私大対策に移りました。 
- 若月
- 私大の数学科は、受験科目が数学と英語というところが多いんです。倖和くんの選択肢を狭めないために、一応英語も点数が取れていたほうが選びやすいよと伝えました。数学はやり尽くしたということもあります。目指していた私大の過去問もやってもらったけど、準備に4ヵ月もかからない内容だったので、英語をやることにしました。 
- 林田
- 私大は、埼玉の城西大学を考えていました。受験科目が数学だけだったから。 
- 若月
- ここから苦手な英語をやって……。 
- 林田
- 入らなかったです。心身の拒否反応がありました(笑)。 
- 若月
- 単語をやっていたね。英語も定期テストの点はきちんと取れていて、まったく基礎がないわけではない。数学ほど完璧ではないというだけで、受験勉強をする前提まではまだまだというレベル感。 
- 林田
- 勉強量としては、それまでよりもちょっと落ちました。 
- 若月
- 理科は物理をすごくやっていたよね。社会は日本史だっけ? 
- 林田
- はい。まず、理系で日本史を選ぶというので驚かれました。日本史が好きで、テストでも半分は取れる感じだったので。 
数学を学ぶ経験を伝えられるように
 
																		- 若月
- 倖和くんの受験勉強の道のりは、模試の点数がどれくらいアップしたみたいな分かりやすい指標がないんだよね。そもそも、入試では傍流になってしまう数Ⅲをやり込んでいたので。実力がついてきたことはどこで自覚しましたか? 
- 林田
- 過去問を自分でやって自分で丸つけすることくらいしか、知る手立てがなかったですね。本当に身に着いているのかなと思っていましたが、単純に数学が好きだったのでがんばれました。 
- 若月
- 数学への純粋な愛だなぁ。やっぱり、「好き」ってすごいね。大学に入ったらどういう勉強をしたい? 
- 林田
- 自分、数学で計算やグラフを書くのが好きなんで、グラフを正確に表せるようになりたいと思っています。 
- 若月
- 将来の夢は? 
- 林田
- 高校の数学の先生になりたいです。 
- 若月
- 今まで関わってきた生徒の中でも、数学科を目指すにふさわしい才能と、文句のつけようのない努力する力がありました。まだ半年も一緒にいないんですけど、その短い間でも数学科に行きたいという気持ちがしっかり伝わってきました。倖和くんはいい意味で特殊な生徒だったし、自分も特殊な経験をさせてもらいました。数Ⅲをやることはなかなかないので、私も楽しかったんですよね。 
- 林田
- まつがくに通ったからこそ、自分ひとりで勉強していたら絶対に見ないような問題もやれました。それに他の塾だったら、ここまで数学漬けにしてもらえなかったんじゃないかとも感じます。 
- 若月
- これから大学で数学に関わっていくと、いっぱい幸せな思いもするし、大変な思いもするでしょう。自分のためというだけでももちろん良いけれど、その経験が最終的に誰かに伝わるようにがんばってほしいですね。合格、本当におめでとう。 - (取材・文/くりもときょうこ) 
 
					 
									