卒業生x校舎長対談 卒業生x校舎長対談

長野高校の増田優樹さんは、高2の夏にまつがく長野運動公園校に入ります。中国にルーツがある増田さんは、外資系企業勤務や外交官になるのが夢。当時の校舎長だった鶴吉雄一郎先生の提案で、大阪大学(以下、阪大)を第一志望とします。

運動部を続けながらも、ほぼ毎日まつがくに通って勉強する姿勢は着実に成績を押し上げ、私大2校とともに目標に到達します。増田さんの受験期を、鶴吉先生と現在の校舎長である徳武孝二先生と3人で回想しました。

増田優樹さんのデータ

●出身校/長野県長野高等学校 ●将来の夢/外資系企業勤務か外交官になる

高2・8月

夏期講習会後に長野運動公園校に入塾。当初は東京外国語大学志望。将来の夢から、より総合的な学びが可能な大阪大学外国語学部を、当時校舎長だった鶴吉先生から提案。atama+の高校英語・数学からスタート。バスケットボール班の活動のあと、夜8時から10時までほぼ毎日まつがくに通う

月1回、お父様と懇談。毎日通塾するのが習慣になり、学習の遅れも精神的なスランプもなく学習を進める

高3・5月

駿台atama+共通テスト模試で得点率54%

6月

「atama+共通テストAI特訓」を開始

7月

駿台atama+共通テスト模試で得点率69%

9月

共通テスト対策と同時に、大阪大学の前期試験の対策をスタディサプリで開始

10月

お父様と私立併願校について三者面談。「挑戦校」「併願校」「安全校」の3段階に分けて戦略を練る

12月

駿台atama+共通テスト模試で得点率72%

1月

共通テストでは5教科7科目の得点率75.9%。私立大学の試験対策を行いながら、大阪大学の前期試験の対策も進める

2月

・併願として明治大学政治経済学部、法政大学法学部、立教大学法学部を受験(明治大学、立教大学に合格)
・大阪大学外国語学部中国語学科の前期試験

3月

合格

1. 塾をペースメーカーに

バスケをやっている分がんばらないと

徳武

増田くんの面談や受験の戦略は鶴吉先生に担当していただいて、僕ともうひとりのスタッフが主に学習を見ていました。増田くんは、お父様が日本人でお母様が中国人でいらっしゃいますね。

増田

父は仕事の関係で中国にいて、そこで母と出会いました。僕は中国東北部のハルビンで生まれてから5歳まで中国で暮らしていました。大学で中国語学科を志望した大きな要因は、僕のルーツにあります。

徳武

共通テストの外国語で、中国語は考えませんでしたか?

増田

僕の中国語は日常会話レベルで読み書きが全然できないので、最初から考えていませんでした。それに、日本語と中国語だけでなく3か国語できるようになりたいという思いもあります。それで、英語は高校から準備しておきたかったんです。

徳武

まつがくに入ったのは、高2の夏期講習でした。まつがくを知ったきっかけは?

増田

家から見えるぐらい近くて、しょっちゅう前を通っていたんです。塾に行きたいと思った時に、いちばん最初に浮かんだのが、ずっと見ていたまつがくでした。

徳武

入塾前の成績はどんな感じだったんですか。

増田

数学は全然できなくて、280人中200位だったこともあります。5教科全体だと真ん中くらいの成績でした。

徳武

入塾してからはatama+で数学と英語をやっていました。

増田

最初、他の教材もやっていたんですけど、atama+は個別最適化された問題がたくさん解けて自分に合っていると感じました。3年生になる春休みまでに、まず全部の単元をクリアして復習のためにもう1周、合計2周するのが目標でした。

徳武

バスケットボール班だったから、練習が終わって夜8時にまつがくに来て、10時まで勉強して帰る。これをほぼ毎日やっていましたよね。

増田

まつがくが開いている時はできるだけ行こうと思って、おそらく土日も含めてほぼ毎日来ていましたね。

徳武

高2の頃からだからすごいよね。当時、校舎長だった鶴吉先生からアドバイスがあったんですか。

増田

自分で決めてそうしていました。バスケをやっているので、他の人と比べて勉強時間がありません。毎日行かないと周りに差をつけられると思っていました。

鶴吉

すごいですよ。バスケをやって疲れていたと思うんだけど。

増田

結構疲れていました。まつがくには毎日来ていたと言いつつ、たまに寝落ちしてました。

徳武

がんばっていたおかげで学習の遅れがなかったので、長期計画から逆算した短期目標を常に達成していましたね。

鶴吉

だから月1のお父さんとの面談はすごく楽でしたよ。褒めて終わり(笑)。何が違うかって、やっぱり意志の力ですよね。決めたら絶対やるっていう。

増田

自分だけで決めると怠けてしまう弱点があるのは自覚していて、どうにかしたかったんです。学校の友だちに聞くと、塾のほうでいつまでに何をするかを決めてくれるということだったので、それが塾に行こうと思ったきっかけのひとつです。

総合大学の強み

徳武

将来の夢として、外資系の企業や外交官というような海外に出ていく仕事を挙げてくれています。この夢はいつ頃から意識していたんですか?

増田

中学生くらいの時から、国際的な仕事をしたいと考えていました。両親も僕も中国に縁がありましたし。外資系企業や外交官という夢は、それこそ阪大を志すようになってからですね。

徳武

当初は東京外語大を志望されていました。外国語を使って海外で仕事となると、恐らく皆さん最初に思い浮かぶのが東京外大ではないかと思います。鶴吉先生との面談で阪大という話が出てきたんですよね。東京外大と阪大の外国語学部は偏差値的にはそんなに変わりません。

鶴吉

東京外大は単科大学、阪大は総合大学という違いがあります。増田くんの中で方向性をひとつに絞り込んでいない状況だったので、幅を持たせて考えるならば、語学に加えて経済など幅広い学びが必要なんじゃなかと思いました。だったら総合大学がいいんじゃないかということで、大阪大学の外国語学部を提案しました。

増田

将来のことを考えた時に、第一に中国語で仕事がしたいというのがありました。東京外大もいいなと思ったんですけど、外国語を4年間学んだ後にもっと何か残せることがないか考えた時に、他の学部の授業も受けることができる総合大学のほうが、いろんな学問を学べて人生の幅も広がるんじゃないかと思いました。

徳武

なるほど。語学だけじゃない学びに魅力を感じたんですね。

増田

最近、大学の履修登録用冊子が届いたんですけど、1年生は全員同じキャンパスで、いろんな学部の授業を横断的に学べるみたいなんです。好きな授業をいろいろ取れるので、楽しみです。

2. 旧帝大をどう攻略するか

基礎固めが受験期にものを言う

徳武

3年になるまでの間に、学力がついてきた実感はありましたか。

増田

すごくありました。まつがくに入る前は、問題集をやっても1回なでて終わりというか、表面的な学習でした。入塾してからは問題をいっぱい解いたことで、学力が身についている感覚がありました。成績もすごく上がっていましたし。まつがくで早めに高校数学を終わらせていたことで余裕が生まれ、その後の受験勉強につながっていったと思います。

徳武

2年生の時から、部活の後に来て最後閉まるまでやるというのをコンスタントに続けていて、増田くんは勉強の姿勢や意識が高かったですよね。受験生活は長いので、ブレたりモチベーションの浮き沈みがあったりするんですけど、傍から見ている限りでは、本当にブレることなくコツコツ、やるべきことをしっかりやっていける生徒さんだなと思って見ていました。3年の5月に受けた駿台atama+共通テスト模試では得点率が54%でした。

鶴吉

この模試は「駿台atama+共通テストAI特訓」というプログラムに関連していて、駿台予備校が出している共通テスト模試とatama+のAIをドッキングしたものです。マークシート式の模試に回答すると自動採点、分析、弱点がすべて出てきて、さらに弱点克服のためにどこから始めればいいかもおすすめがあり、それをクリアすると何点プラスになるかという予測点数まで出てくるというものです。しかもタブレットの中で完結している。

徳武

2022年からはじまりましたね。増田くんは得点率を2か月で15%も上げています。

鶴吉

ふつうはそんなに上がらないです。

徳武

AI特訓の成果もあると思うんですけど、その前までに基礎をしっかり固めていたのも大きいですよね。

増田

僕もそう思います。たぶん、atama+で数学の基礎固めをやっていなかったら、そこまで上がらなかったと思います。

鶴吉

基礎が固まってない状態でAI特訓に入ると、絶望的なことになるんですよね。取り組まなければならない課題があまりにも膨大になってくるので。

徳武

数学と英語以外の対策は、古典などまだatama+に実装されていないものについては、「スタディサプリ」でやってもらっていました。

増田

阪大の二次試験は国・数・英だったので、国語も二次を意識してやっていました。

徳武

9月には、過去問で阪大の二次対策もはじめています。

鶴吉

やっぱり旧帝大クラスになってくると、そのあたりから準備しないと間に合わないです。東大・京大クラスだと、4月ぐらいから二次対策をやらないと間に合わない。

増田

過去問は、学校にある赤本は借りたり、まつがくでは傾向が似た問題を出してもらって、それを解いて添削してもらったりしていました。

私大併願は戦略的に

鶴吉

10月には、私大の併願校をどうするかでお父様と三者面談をしました。私大は少し背伸びして挑戦する「チャレンジ校」、実力に見合った「併願校」、万が一のための「安全校」という3段階で考えました。

増田

安全校だった日本大学と専修大学は結局出願しませんでした。準備のことを考えると余裕がないなと思って。早稲田は共通テスト併用だったので、共通テスト後に得点計算してみたら、一般試験で満点近く取らないと合格できないことが分かりました。早稲田は対策が必要だったので出願せず、明治大学など他の大学に力を入れて、そこで余裕をつくっておいて国立の前期に集中することにしました。

徳武

かなり戦略的でしたよね。

増田

そうですね、両親とも話し合って、最終的には自分でどうしたいか決めました。

徳武

そして、12月の駿台模試では72%の得点率でした。

鶴吉

驚異的なペースで伸びました。二次試験に対応できる力があれば何とか行けるんじゃないかというレベルまで来ました。ただ、目標と照らし合わせると最終的には7割5分は超えたいところですね。

3. 経験を増やして大きく羽ばたけ

私大と前期試験の波に翻弄されるモチベーション

徳武

そして、共通テスト本番では見事に7割5分を超えました。 増田くんの手ごたえはどうでしたか?

増田

atama+共通テストAI特訓は5回分やったんですが、レベルが高くて結構難しかったんです。思うように点が取れなくて焦るほどで。それで鍛えられたせいか、本番はすらすら解けた感覚がありました。

鶴吉

AI特訓は難しいからしょうがないよと伝えていました。

増田

共通テストが近づくにつれてプレッシャーもあったと思うんですけど、自分としては、本番で点数があんまり伸びなかったと感じました。最後、社会の詰め込みがうまくできなかったのが原因です。

あとはもうひとつ、私大の試験や合格発表があった時期は、結構メンタルが不安定だったんです。法政大学に落ちて明治大学は合格して、という具合に波が激しくて。そこでもう「明治でいいんじゃないか」と思うようになって、最後、モチベーションの維持で苦労しました。

鶴吉

ひとつ合格が出てしまうと、この苦しみから早く解放されたいという気持ちが出てきますよね。

徳武

さっき増田くんが教えてくれたけど、明治大学の受験の時に、お父様が大学の近くで物件を探し始めていたんだよね。そういうこともあって、阪大をいちばん目指していた気持ちにブレが少し出てきたんでしょうね。「いちばん最初にそこを受けると決めたから、最後までがんばろう」という話はさせてもらいました。やることを坦々とこなしていた増田くんにしては珍しいなと思いました。たしかに明治は明治ですごく魅力的ですしね。そのあと、立教大学にも合格したんだよね。

増田

立教の合格発表は、法政・明治の合格発表から1週間くらい後だったんですね。その頃には、明治でいいなという気持ちはだんだんしぼんでいて、やっぱり阪大がいいという気持ちが先行してきていました。立教の発表が2月22日で、25日が前期試験だったんです。

鶴吉

阪大の手ごたえはどうでした。

増田

正直、落ちたと思っていました。もともと、数学と英語で合格点を取りきる戦略だったんですけど、今年は数学の傾向が変わった上に、難化していました。得意の数学で差をつけて合格するつもりが、難しいと差がつけられなくなるじゃないですか。それが心配でした。

徳武

英語と国語はどうでしたか?

増田

英語は記述ですらすら解けました。筆が止まらないという感じで、全部埋められました。国語はそもそも重視していなくて、とりあえずわかることを書こうという戦略でした。言い方が悪いですけど、おまけ的な感覚だったので、あまり気にしてなかったですね。

徳武

最終的には、数学は得意だと感じられる境地まで行っていたんだよね。

増田

atama+で高校数学を2周した後は、文系数学では学校で上位に食い込むくらいには得意になっていました。私大の受験でも数学を使いました。

留学先はもちろん中国です

徳武

前期試験から合格発表まではどういう気持ちで過ごしていましたか?

増田

落ちた前提で話を進めないと、と思っていました。気持ちを下げて下げて、それで受かってたら嬉しいし、落ちててもあんまり気にしないようにしようみたいなマインドでその間、ずっと過ごしていました。

徳武

後期は新潟大学に出願していました。

増田

共通テストで決まる形式だったので、実質前期で受験勉強は終わりでした。いきなりすべきことがなくなると、何していいかわからなくて、家の中で暇をつぶしていました。

徳武

今は、大阪に引っ越す準備で忙しいよね。

増田

部屋は試験の日に父が予約していました。試験会場から出て、「部屋はどうしよう」と聞いたら、もう予約してあったという(笑)。

徳武

お父さん、仕事早いですね。大学でやりたいことはありますか?

増田

大学は勉強しに行くところだし、せっかく阪大に入ったからいろんな分野にチャレンジしたいと思っています。あと、そういうところに集まる人はいろんな経験があったり、優秀な人も多かったりすると思うので、友だちもいっぱいつくって僕自身、経験を増やしていきたいですね。

鶴吉

留学も考えているのかな。

増田

はい。留学する前提で両親とも話をしています。留学先はもちろん中国です。

周りの人のサポートに助けられた

徳武

受験期間中、お父さんやお母さんのサポートはどうでしたか。

増田

すごくサポートしてくれていました。法政に落ちた時、他もうまくいかないような気がして、部屋で泣いてしまったことがあったんですね。その時に両親が気づいてくれて声をかけてくれたことで、気持ち的に助かりました。

徳武

増田くんから見て、お父さんとお母さんはどんな人ですか?

増田

父は仕事で忙しくて一緒にいる時間は長くないですし、寡黙なタイプなんですけど、結構がんばって僕に接してくれようとする気遣いの人です。母はおしゃべりでひょうきんなタイプ。専業主婦で家にいたので、よくおしゃべりして。そういうところで気持ちが和らぎました。

鶴吉

懇談にお父様が来られていたのは、お父様の希望だったのかな。

増田

母も日本語は話せるんですけど、あまり自信がないと言っていて、それで父が引き受けたんだと思います。でも父もあまり慣れていなくて、大学受験のことを自分と一緒に知っていく感じでした。

徳武

学校の友だちも支えになっていた?

増田

友だちの存在は大きかったです。冗談も言えるような仲のいい友だちと一緒に勉強したり、悩みを相談し合ったり。そういう人がいなかったら、メンタル的にもっとつらかったかもしれません。

鶴吉

周りに旧帝大を受験する人はいましたか。

増田

はい、結構いました。

鶴吉

同じようなところを目指している人たちがいるのはいいですね。増田くんが先ほど言っていたように、あとは経験ですよね。たくさん失敗しろってことです。失敗しても命までは取られませんし、苦しい思いをした分だけ器は広がるので。よく母が言っていたことを増田くんにも言います。「なんでへこたれてるんだ。だって死ぬわけじゃないだろ」って(笑)。

特にビジネスの世界でグローバルにやっていくとなると、鋼のメンタルを持つことが大事だと思うんですよね。どんなことがあってもブレない。そうじゃないと、やってけないですよね。日本人は海外とビジネスする時に優しすぎて損しがちと聞きますから。したたかさも学んでもらいたいと思いますね。

徳武

僕も鶴吉先生と同じ気持ちです。いろんなことにチャレンジして、失敗してもしっかり学んで成長していってほしいと思います。目標を持って受験生活を送ったように、人生においても目標を持って邁進してください。改めて、合格おめでとう。これからもがんばってください!

 

(取材・文/くりもときょうこ)